ほしかったのはそんな言葉じゃなくて。

ふとしたきっかけで、身の回りにいてくれたひとのことを思い出します。

たとえば家族だったり、恋人だったり、友人だったり・・・。

そして、旅でであった人であったり、あったこともないひとだったり。

ときには、もうあえない人だったり。

きっとまだそんなに生きているわけではないから、

少ないのだろうけど、私にとって、たくさんの。

たくさんの人にふれてきたようなきがします。


私は、それぞれの人間の生き方が好きです。

生き方は、本ににているって思う。

あなたの本は、あなたにしか話せない。そんな本です。


自分には納得のいかないスタンスでも、理解できるものもあるし、

素敵な生き方を見ると、あこがれたりもする。

で、ちょっとだけ、真似してみたりもします。


そんなひそかな心がけむなしく、私の生き方(=雰囲気)はすこし変わっているといわれる。

学生時代には、考え方が少し大人びていたから、

「すごいね。」とか「大人だね。」とか「強いね。」とか。

そんなことをときどき言われました。

それはそれで、うれしいのだけれど。

かなしいって気持ちとは違うのかな?

悪い気はしないのだけど、なんかこそばゆい気がします


私はすごくも、強くもなんでもないんですよ。

ちょっと変なところのある、ただのありふれた弱い男の子ですよ。と思う。


そして、それを言わずに、私はちょっと力の抜けた笑い方をするのでしょう。



私がほしかったのは、

そんな言葉じゃなくて。


たぶん、強く思われて、頼りにされる言葉ではなくて。

頼りにしてくれていいよ。っていう。

弱いことを認めてもらえる言葉だったのかなと・・・。


それなりの大人になって、思いました。


みんな頼りになるひとたちがいっぱいでした。

なにも背負い込む必要なんて、ちっともすこしもない時期に、

私が勝手に、気がつかないうちに、みえないものを、

ひろって抱えてしまっていたみたい。


だからこそ、いま、結構強くなった気が、ときどきします(まだ謙虚)。

「頼る」って言葉、好きです。