目的地まで52km、制限時間は6時間(過去)
なぜ走っているのか、自分ではわからない。
いま、動いているのが自分の足である感覚がない。
ただ、目の前にある景色だけが、後ろに流れていく。
電車の窓からそとを眺めている気分だ。
もっとも、こんなに遅い電車があるなんて話は、聞いたこともない。
では、たとえを自転車に変えてみたらどうだろう?
なるほど、それくらいが丁度いい気がする。
高校の行事に古河競歩大会というものがある。
コースの全行程は52km、もちろん競歩というのは名前だけで、
歩いていては、制限時間に間に合わないようにできている。
”看板に偽りあり”の見本みたいな奴だ。
この大会でゴールにたどり着かないものは、
この先一年の間、クラスのメンバーから運動オンチというレッテルを張られ、
その屈辱に耐えつづけるハメになる。
それだけは御免だ。
高校生活を賭けて、なんとかゴールには辿り着きたい。
中学のころから、運動全般は大の苦手、そんな僕にとって、
この大会は、恐怖以外の何物でもなかった。
万全の準備と練習を重ね、当日に挑む。
滑り出しは順調。これからは体力勝負。
陸上の選手なら、この程度の距離は余裕なのかもしれない。
しかし陸上とは程遠い生活をすごしてきた僕にとっては、前代未聞の距離になる。
52kmという距離は、自分との対話の時間だった。
「どうして走っているのだろう?」
なぜ走っているのか、自分ではわからない。
ただ、きっと走り終わったときに、なにかわかるような気がする。
それがどうしても知りたいと思った。
だから、僕は走りつづけなければならない。
この足が動かなくなるまで・・・。
たとえ、先が見えなくても。
たとえ、どんなに苦しくても。
たとえ、それが何の意味も持たなくても。
意味がなかったとわかっただけでも、意味があるって思うんだ。
だから、走りつづけなければならない。
どうやら、僕にとっては、これが人生のすべてらしい。
やれやれだ。